September 10, 2004

人間の証明(終)

フジのドラマ、人間の証明が終わったー。
途中とくに何も日記には書いてなかったけど、ちゃんと全部見ましたよ。

竹野内豊(主人公)は、暗さを保った演じ方がテーマにピッタリ合っていた。
背景が重たい役で、ややもすると被害者っぽく演技過剰になりそうなところを
一貫してテンション低めのトーンで最後までいけたのが良い。
最後で詩を読み上げるあたりも わりかしジミに感情を殺した演技だった。
歌手で言うところの”歌い上げちゃうタイプ”の人がここを涙の名演でやったなら
多分わたしは途中でチャンネル変えたであろう。
(前作の役者と比較することには意味はないと思うので、しない)


なにが”人間の証明”か、という部分については、

”こんなことする人間なんているわけない、仮にそうだとしたら人間じゃない”
         ↓ 
”それでも容疑者に、人間としての最後の良心が残ってることを信じたい”

という感じで捜査が進んでいく訳ですが 
同様以上の事件が、毎日のように起こってしまってる現在だと
正直、視聴者に訴えるテーマとしてはインパクトが薄いのかもしれない、
などと思いながら見てました。
残念なことではあるけども。

核心となる事件が発覚するきっかけとなった別件で、殺される女性が横山めぐみ。
消えた彼女を探し回ってるうちに彼女の愛人(風間杜夫)と夫(國村準)が協力関係となる。
この、間男とコキュの 友情ともいえない妙な距離感 が良かった。
最後に別れる時、風間が
『こんど一杯、やりましょう』
と國村を誘う。
すると
『ああそうだな、やろう』
と応じるが、実際にはその後二度と会うことはなかった。
というくだりもいい。
まあ実際会わないよなそりゃ。
(すっかり人情話になっちゃってる感じもするけど)

事件後、間男は妻から離婚訴訟を起こされ、仕事は格下げになったりと
さまざまな社会的制裁を受ける。
かたや妻に死なれた夫のほうは、事業をおこして立ち直る。
ああなんだか・・健康。
蛇足かもしれないが、ある意味良心的かもしれない。
お天道様は見ているのだ(か?)。


残念なのは、テーマ曲のa place in the sunを
どうして原曲使えなかったのかなー!ということですが。
リバイバルでスティーヴィーを売ったほうがよっぽどイイじゃないか、と
個人的には思うんだけど、いかがなものでしょう。
(あ、でも優作→竹野内が許せてこれが許せないのは狭量か)


『太陽の当る場所』 訳詩:景山民夫

Posted by wata at September 10, 2004 11:16 AM
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